大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和33年(わ)790号 判決

被告人 三浦作蔵

大一四・一〇・八生 電車運転士

主文

被告人を禁錮一年に処する。

但し、本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

第一罪となるべき事実

被告人は昭和二十年九月頃京阪神急行電鉄株式会社に雇われ、昭和三十二年三月三十日頃より運転士として電車運転の業務に従事していたものであるが、昭和三十二年九月十九日午後十時四十三分同電鉄京都線淡路駅発梅田行電車(列車番号二二七五号、車輛番号七〇二号ならびに七〇五号、二輛連結)を運転して右淡路駅を出発し、崇禅寺駅を経て南方駅に着き、午後十時四十七分頃同駅を発車しようとしたのであるが、右発車直前に同駅駅長小川仙太郎から「十三駅裏手のほうに火事があるから注意するように」と警告を受け且つ同駅の停車中の右電車の運転席からも同線十三駅に向う一直線状の線路の稍左側の方角に夜空が明るくなつているのを認めた。しかして当時大阪市東淀川区木川東之町三丁目二十四番地メツキ業片山春政方ならびこれに隣接する民家約五戸(合計約八十坪)が燃えておる最中であつて、右片山方は同京都線下り軌道より南に約三十二・七米を隔てているに過ぎなかつた。

かくして被告人は右南方駅(後記事故現場のほぼ東方六百五十八米の地点)を発車したのであるが、右電車の軌道は同駅よりほぼ西方に約八百五十米の地点附近まで一直線をなしており、右電車が進行するにつれて右火災の状況も次第により明確に認識され得る状況であつたが、なお被告人の運転席と火災現場との見通し線上に家屋があるため直接その火災を認めることができず、ただその上の夜空が赤く染り赤黒い煙が立ち登るのが認められるのみで右火災の場所従つて該軌道との距離についてはこれを正確に知ることが困難な状況にあつた。

しかしながら、このような場合、電車運転士としては右火災の場所について正確にこれを知ることができないけれども、或は右火災現場が自己の推測する地点よりもずつと近く、従つて右軌道に近接する沿線地域である前記火災現場附近に存在し、その結果右地域の近くの警手不在の右軌道上の踏切が火災のため諸車、歩行者等で混雑し、踏切外の軌道内にも何時消防士、警察官或は一般民衆等が立ち入るかも知れないことが予測されるのであるから、危険を認めたときは何時でも急停車をして事故を未然に防止できるよう徐行して進行しなければならない業務上の注意義務があるのに拘らず、不注意にもこれを怠り、右火災が前記現場よりはるかに遠方であると軽信し、通常時速六十三粁で進行するところを僅か時速約五十五粁に減じたのみで漫然進行を続けた過失により、右踏切の手前約九十米の地点ではじめて前方に打振られている懐中電灯を認め、急停車措置を執つたが時既に遅く、折柄右踏切の下り線軌道上に停車して消防活動を行つていた東淀川消防署所属の消防車(大八―三二一三号)に被告人の運転する前記電車を衝突させ、よつて同自動車附近で消火作業を行つていた消防士今井正澄(当時四十年)を脳挫傷により、同沢田藤太郎(当時三十九年)を脳挫滅によりそれぞれ即死させ、同上原豊(当時三十二年)を骨盤骨折により同月二十日午前四時二十六分頃同市同区十三東之町二丁目六十九番地豊田病院において死亡させ、同岸本勝義(当三十年)に治療約七十日間を要する右下腿挫滅骨折等の傷害を、同金城喜三郎(当三十六年)に治療約九十日間を要する顔面挫創等の傷害を、同自動車附近に居合せた十三橋警察署巡査谷田岩雄(当三十年)に治療約三ヶ月間を要する脳震盪傷等の傷害をそれぞれ蒙らしめたものである。

第二証拠の標目(略)

第三主たる訴因に対する判断

一  起訴状記載の訴因について

被告人に対する昭和三十三年四月十一日付起訴状記載の公訴事実によれば「右火災現場東北方附近の同町四丁目五十八番地先所在の同線第一高槻踏切手前約三百米附近より右火災は認識しうる状況であり」と記載されており、爾余の事実については前示認定の事実とほぼ同趣旨であるので右の点についてのみ判断をするに、被告人が右地点において本件火災現場の位置を正しく認識していたことを認めるに足る証拠はなくかえつて前掲各証拠なかんずく昭和三十九年七月十一日付当裁判所の検証調書ならびに杉山貞夫作成の鑑定書によれば前示認定のとおり被告人は右地点においても本件火災現場の位置を正確に認識できなかつたと認めるのが相当である。従つて右事実が認められない以上爾余の点はその前提を欠くことになり、結局右訴因について被告人を有罪とすることはできない。

二  第二十八回公判における追加訴因について(第三十回公判における訂正部分を含む)

右追加訴因の要旨は「被告人は電車運転士として常に前方注視の義務があり、事故現場である踏切りの手前百二十二米四一附近から右踏切り上に停車中の消防車を認めることができたのに、右注視義務を怠つて進行したため事故を惹起した」というのであつて、住田正則の検察官に対する供述調書によれば被告人が百二十二米四一の地点で消防車を認めることができたかも知れないことを推測させるような供述記載があるのであるが、昭和三十五年十月十四日付裁判所の検証調書によれば事故当時の現状をほぼ再現した状態のもとにおいてなされた実験の結果、右距離においては何人も消防車を認め得ず、百二十米附近に至つて始めてこれを認め得る状況であつたことが窺えるのである。しかしながらこれとても見る場所による差異および視力についての個人差の存在すること、特にその目的のもとに行なわれる場合にはそれ丈の精神の緊張或は心の準備がなされたうえの結果があらわれ常に通常の場合もそうであると断言できないことを考慮に入れるとにわかに右距離すらも信をおきがたく、それ以下の距離であると認められ結局前記供述記載のみによつては右事実を認めることができず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。更らに仮りに百二十二米四一で認めえたとしても太田垣貴美作成の制動距離曲線と題する書面、木村末二作成の鑑定書によれば本件電車が時速約五十五粁で進行しているときの有効制動距離は百二十六米であると認められるから、本件事故は避けえなかつたことになる。従つて前方注視を尽くしてもなお結果の発生を避けえないのであるから、前方注視を怠つたことと結果の発生には因果関係がないといわねばならず、以上いずれにしても爾余の事実について判断をするまでもなく、右訴因について被告人を有罪とすることはできない。

第四弁護人の主張に対する判断

一  弁護人は本件事故の原因の全部は消防車の不法な踏切上への乗入れであり、本件衝突事故の全責任は消防自動車側にあると主張し、高速列車、電車の軌道上には消防車といえども乗入れることは許されないことを種々の論拠に基づいて力説するので、以上の点について検討する。一般的にいつて専用軌道を有する電車は高速度を持して一定の軌道上を疾走する公許の交通機関であつて、その進退操縦には普通人とことなり機械上の種々の制約をともなうものであるので、電車線路と人道との交叉する踏切において通行人と電車とが衝突する虞のある場合には通行人において線路の外側にあつて電車の進行を待避し、その通過するのを待つて線路内に入るべきであり、電車の運転手は進行中の電車を停止し通行人をして先づ線路を横断させた後電車の進行を継続すべき義務はない。即ち進行中の電車の前面において通行人が線路を横断することによつて生ずる衝突の危険を予防する責任は主として通行人にありというべきである。しかしながら右の一般的原則といえども、電車の運転手において通行人等が諸般の状況により電車の進行を意に介せず線路を横断しようとすることを予測すべき特別の事情がある場合には電車の運転手において踏切点を通過しようとする場合電車の速力を低減し又はその進行を停止して不慮の衝突に備えるべき注意義務があるものといわなければならない。これを本件についてみるに本件の如き夜間に発生した電車軌道沿線地域の火災という緊急事態にあつては通常消防署から消防士が消防自動車に乗つて多数現場に駈けつけ直ちに消火活動にあたり、警察署からはパトロールカー等によつて警察官多数が現場に来て公共の危険防止、人の身体財産等を保護する措置をとり、一方被災者は家財道具の搬び出し避難等で火災現場附近を右往左往し、近隣の居住者や附近を通りあわせた者等は火災の安否を気づかいながら火災現場附近でこれを見守り更にいわゆる野次馬と称せられる者が多数集り、それらが附近の踏切或は電車軌道敷内等に往来したり佇立したりすることそしてそれらの者等はいずれも火災という緊急事態のために電車踏切或は軌道敷内にいることによる電車との衝突の危険について平素より注意力がうすれていること等が当然に予測されるのであつて、このような状況下においては電車運転士としては徐行運転をし不慮の衝突に備えるべき注意義務があるといわなければならない。即ち以上の如き事態は所謂「許された危険」の原則の範囲外に属する出来事であつて、以上の点について被告人には既に徐行すべき義務の違反が認められるのであり、仮りに本件踏切に入つた者等において踏切に入つていたことについて責むべき点があつたとしても結論を異にするものではない。ただ被害者側における以上の如き態度は本件事故の発生に当つての一つの原因をなすものとして被告人の刑の量定或は民事上の損害賠償額の決定に当つてしん酌されるにすぎない。このことは別の観点より見れば本件の被害者は単に消防士のみに止まらず警察官を含むものであつて、弁護人は消防車の踏切乗入れを違法とされるのであるが右警察官が踏切上にいたことについては直接言及されるところがないことよりこの点についての被告人の責任を考えるならば事柄は更に明確になるものと考えられる。又電車運転手が運転時間のじゆん守を義務づけられているということもその危険防止の義務を阻却するものでないことはいうまでもない。従つて右弁護人の主張は失当である。

二  次に弁護人は被告人が「本件火災現場の位置が予想よりも近く、電車軌道沿線にあり従つて右沿線近くの警手不在の踏切附近が人車の往来等で混雑しておりそのまま進行すれば衝突事故を惹起するかも知れないことを予測する」というような事柄は高度の心理作用をともなう判断であつて運転士に右の如き判断を要求することは出来ないと主張し、「専ら感覚運動系の判断に基づいて行なわれる運転に高度の心理作用をともなう思考運動系の判断をともなうことは危険である。」という鑑定人杉山貞夫の鑑定結果を採用するのでこの点について検討する。運転に右思考運動系の判断が入つてくると反面感覚運動系の判断に悪作用を及ぼし危険であるとする前記鑑定の結果はもとより正当であつて反対すべきものはなく、更に右結論より将来右のような思考運動系の判断がなされることなく運転ができるように諸般の交通環境を整備すべきであるとすることも正しいといわなければならない。(現に東海道新幹線、或は名神高速道路等においては右配慮が実現されている。)従つて運転に際し右の如き高度の判断をなすことを義務づけることの可否については純理的には否という結論になることは明らかであるが、問題はそのことの可否ではなくして、そのことの現在における存否にあるということがいえる。即ち現在の交通事情のもとにおいて右思考運動系の判断をなすことが全く義務づけられていないということは考えられないのである。むしろ現在においては一定の業務に従事するものには通常人に比して高度の注意義務を負わされているのであり、電車の運転士も当然に業務上の高度の注意義務を課せられているのである。右の注意義務の内には高度の心理作用をともなう思考運動系の判断を含むものであり、右義務を課する反面運転士にはそれ相当の訓練をなし、一定の資格等が要求せられているのであると考えられる。従つて前記の如き予見義務は被告人に要求されるものであつて、この点に関する弁護人の主張は失当である。

第五法令の適用

被告人の判示所為は各刑法第二百十一条前段、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するところ、以上の各罪は一個の行為で数個の罪名にふれる場合に該当するので同法第五十四条第一項、第十条に則つて業務上過失致死罪(同罪間に特に軽重を認めない)に従つて処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人に対する刑を量定することになるのであるが、しばらく量刑について考えるに、被告人の過失によつて消防士三名が死亡し、消防士二名警察官一名が重傷を負い、内一名は右下腿を切断して不具となつたのであつてその結果は極めて重大であり、加えて死亡者の遺族、或は生存者本人等に対し現在迄如何なる程度の慰藉或は補償等がなされているのか証拠上これを窺い知ることはできない。以上の観点より本件をながめると被告人の責任は極めて重且つ大であるといわなければならない。しかしながら他方被告人の本件過失の内容を検討すると、被告人に負荷せられた注意義務は極めて高度のものであるからその違背に対する責任は一般の過失に比してそれ丈軽るいものであると考えられ、更に本件について被害者側において電車の運転を停止させるための適当な措置を講じなかつた点に過失があり、それが本件事故の一つの原因となつていること、被告人が本件過失を犯すに至つた一端の原因は被告人が専用軌道を有する近代高速度鉄道の迅速、正確の要請に対する使命感に強く患わされていたと窺われることも考慮に入れる必要がある。従つて以上の衡量に加えてその他諸般の情状をかんあんして被告人に対し禁錮一年に処し、同法第二十五条第一項に則つて本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用の負担について刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則つて全部被告人の負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 松井薫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例